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桜と日本文化に影響する温暖化

 いにしえからの美を次世代へ

2024年03月05日

地球環境

主任研究員
大塚 哲雄

 今年も桜の便りが聞こえてくる時期になってきた。桜前線の北上が気になるところである。桜前線の北上スピードは1日約20キロで、時速にすると約830メートル。時速約4キロとされる一般的な人の歩くスピードの約5分の1程度でゆっくり北上している。われわれ日本人は数百年前から桜を心待ちにし、四季折々の美しさの中で特に桜を愛してきた。また日本文化にも大きな影響を与えてきた。そしてこの桜は地球温暖化の影響を受けていることは想像に難くない。

「絶えて桜のなかりせば」

 日本文化を代表する万葉集は飛鳥時代から奈良時代にかけて編纂され、桜を詠んだ和歌がいくつも収められている。

 「天降りつく神の香具山うちなびく春さり来れば桜花...」(260番 鴨足人)
 「あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいたく恋ひめやも」(1425番 山部赤人)

 万葉集以外にも桜を詠んだ和歌は数多くある。

 「願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃」(西行)
 「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(在原業平)

20240304_01.jpg吉野山の桜

古人の心は今も

 これらの和歌に代表されるように、日本では古くから桜を題材に自然、四季の美しさをうたい、併せて恋のはかなさや切なさを表現してきた。こうした古人が持っていた心のありようは、時代が変わってもわれわれにあるだろう。

 在原業平の和歌に「絶えて桜のなかりせば」とあるが、本当に桜が無くなることを想像している日本人はいないと思う。しかし、桜も地球規模での温暖化の影響を確実に受けている。

 この桜は次の4段階を経て開花する。夏の花芽形成期、秋の休眠期、冬の休眠打破期、春の開花期。冬の休眠打破期では一定期間の低温が必要となっている。また春の開花日予想については、600℃の法則と400℃の法則がある。

2週間早まった開花日

 600℃の法則は2月1日を休眠打破日と仮定し、その日から毎日の最高気温の合計が600℃に達する日を開花日、400℃の法則は同じく2月1日を起点とし、それ以降の平均気温の合計が400℃に達する日を開花日と予想している。地球温暖化は、冬の休眠打破期ならびに2月1日以降の気温に大きな影響を及ぼしているのは論を待たない。

20240304_02.jpg 近年60年の東京での桜開花日推移(出所)気象庁「さくらの開花日」から作成

「桜の節句」になる日

 東京における年ごとの桜開花日を確かめてみると、2023年は1963年よりも約半月も早まっていた。約60年前は桜の開花が新年度の始まりとほぼ同じ時期。桜が出会いと別れ、新たなスタートの象徴だったが、このまま温暖化が進んで開花が早まると、どうなるか。

 桜が出会いと別れに結びついた花から、ひな祭りの花と言われる日が来るかもしれない。そうなれば、3月3日は桃の節句ではなく、桜の節句ということか。

 現在日本で生息している桜の約80%はソメイヨシノ。桜の開花予想に使われている標本木も沖縄、北海道の一部を除きこのソメイヨシノである。ソメイヨシノの生息の南限は現在、種子島周辺と言われている。その南限も温暖化の影響により北上しかねず、九州でソメイヨシノが咲かなくなる可能性もありうる。

 ソメイヨシノは18世紀後半にエドヒガンとオオシマザクラが交雑した品種として染井(現在の東京都豊島区駒込)で誕生した。その後、花の豪華さや、管理のしやすさ、さらには苗木価格の安さから植樹事業で多く使われるなどし、全国に広まったとされる。

20240304_03.jpg【秋山伸一氏提供】

桜が消える地域も

 花の見ごろは樹齢20年から30年。その後、樹冠(枝と葉の層)が大きくなった後、緩やかに老いていくという。しかし、この段階でしっかりと管理をすれば樹齢100年を超えるのも珍しくないそうだ。管理をすれば健康でいられるのは人間と同様である。

 ソメイヨシノは接ぎ木などを通じて増やす。このため同一性質のクローン植物であり、同じ色香を持つソメイヨシノの桜前線が毎年、南から北に上がっていく。その桜前線の始まる場所が温暖化で変わってしまう、別な言い方をすれば咲かなくなる地域が増えるかも知れない。

江戸庶民も心躍らせた

 そんな不安を抱きながら、ソメイヨシノ発祥の地である豊島区郷土資料館の学芸員秋山伸一氏を訪ね、日本人がソメイヨシノを愛(め)でてきた歴史や文化に果たしてきた役割などについて聞いた。

 秋山氏は「庶民による花見は江戸時代後期には定着していた。江戸庶民も桜の開花に心躍らせたのではないだろうか」と当時に思いをはせる。

 また、ソメイヨシノをはじめとした桜に対する温暖化の影響について秋山氏は、「温暖化による開花日の早まりや生育地域の変化は、例えば観光地でのイベント日程への影響だけではなく、将来的には人類の存亡に関わる深刻な問題だろう」と懸念を示す。

20240305_04.jpg秋山伸一氏【2月22日、東京都豊島区】

今年の花見では...

 その上で、「次世代にこの豊かな自然、美しい桜を引き継ぐためにもっと一人一人が真剣に考えなければならい。桜見酒を仲間と飲んでいる場合ではないのかも...」と諭すように話していた。

 コロナが5類へ移行し、今年も大勢の人が花見に出掛けると予想される。秋山氏が言うように、次世代に美しい日本の桜を引き継ぐため、花見では少し温暖化の影響について考えてみてはいかがだろうか。桜前線の北上時期を早めないためにも。

 「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心は寂しからんや」(筆者)

20240304_05.jpgソメイヨシノ発祥を記念する碑【2月26日、東京都豊島区】

大塚 哲雄

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